電子記録帳

ゲームとかガジェットとか、最低週2更新。

ゲームとはコスパのいい趣味である【半分自己紹介小~中編】

俺がゲーム好きというのは連日のスプラトゥーン3の記事で何となく察してくれたと思う。

俺の家は昔流行ったゲーム脳とかの似非医学みたいなものは信仰していなかったが、とはいえ「ゲームはくだらない娯楽である」というような風潮が若干あった。だからゲームも買ってもらえなかった。幼稚園~小学校低学年の頃の俺はスーパーに行ってはゲームコーナーに置いてあった試遊台のDSで親が買い物を済ませるまでずっと遊んでいた。田舎のスーパーというのもあって俺以外に試遊台で遊ぼうとする子もおらず、親がくるまでずっと遊べた。このころからもしかしたらゲーマーの血があったのかもしれない。

 

というわけで、半分自己紹介と筆が乗らない時のつなぎ兼休憩として不定期で俺のゲーム遍歴を紹介しようと思う。(ガチの自己紹介はしたくなったときにまたする)

小学校低学年

このころは冒頭に書いたことがほとんどだったけど、小学校2年の時に初めて紺色のDSiを買ってもらった。当時突然のことだったので嬉しさと「いきなりどうした?」と怪しさを若干感じたのを覚えている。のちに知ったことだが、DSを持っていない俺がよくハブられていたのを見て不憫に思ったらしい。当時遊んだゲームは「幻想水滸伝ティアクライス」というRPGと「ポケモンプラチナ」前者の方は母が読んでいた雑誌の懸賞で当たったもので、ポケモンはそこからしばらくしてから買ってもらったものだ。

幻想水滸伝の方は最初内容がわからないまま、遊んでいたため最終的にラスボスを倒さずに積んでしまったが、小学4年くらいになったくらいに「暇だし、久しぶりにやるか」とやったときにクリアした。平行世界がどうのこうの~となったあたりで面白く感じ、そこから一気にやった覚えがある。

プラチナは殿堂入りした後、辞書のような分厚さの攻略本を買ってもらい、育成の必要がないバトルファクトリーをずっと遊んでいた。攻略本も3値のことが書かれていたのだが、当時の俺にわかるわけもなく、ゲームの説明書を読む感覚で「ふ~んそうなんだ」とわからないなりに読んでいた。

小学校中学年

このころになると、ゲームにどっぷりハマっており、家でも学校でも習い事の柔道教室でも「あ~ゲームしたいな」とゲームのことしか考えていなかった。元々幼稚園のころからポケモンが好きだった俺は、基本的に年一単位で出るポケモンをひたすら遊んでいた(気がする)。

単純、一人

また、俺はなにかと影響されやすい人間で金銀リメイクが出たときは同梱された万歩計(ポケウォーカー)をつけながらそこら中を歩き回り、BWが出たときにはゲームシンクに興味を持ち、Wi-Fiの設定もしたし、イナズマイレブンが流行した時には友達と一緒に昼休みのサッカーで「エイリア学園走り」や「必殺技」を真似をした。イナイレが流行した地区の同年代なら経験があるのではないだろうか。

ここからがスタートライン

ころから先述したWi-Fiの設定や、ゲーム機一つでいろんなゲームを遊べることから「電子機器って面白くね?」と漠然と考えるようになり、今のPCやガジェット好きに繋がっていったと思う。

親は放任主義ではないのだが、私たちの理解が及ばないところは自分でやれという感じだったので、Wi-Fiの存在を知り、自分の家にこれがあるのを知ったときは「なんで教えてくれなかったんだ」と思いながらDS側の設定を全部自分でやったのを覚えている。

ちなみにペアレンタルコントールは小学2年の時に邪魔くさいという理由で自分で外した。今考えると親目線でいうならいろいろ危ないことをしている気がするが、当時は今ほどインターネット犯罪が~という時代でもなかったし、そもそもこれくらいしないと俺はここまでヲタクになっていなかったと思う。

据置機導入

無事ゲームヲタクと化した俺が小学4年の時、Wiiが導入された。最初に買ってもらったゲームはマリオスポーツミックスだった。その後インフルエンザに罹ったのだが、1日で治し、残りの登校停止期間は遊び倒していたのだが、休んでいる間のプリントを友達が持ってきてくれた時に遊んでいるところ見られ「こいつ元気じゃん」と怪訝な目を向けられたことを覚えている。

Wiiでは単純にゲーム以外にも「Wiiの間」や「みんなのニンテンドーチャンネル」を見てこのころに(もう少し後だった気もする)ゲームセンターCXを知ったりカービィがアニメ化されていること、とあるシリーズをはじめとした深夜アニメというものを知った。

小学校高学年

ついにモンハン上陸

このころになると俺は、「ゲーム好き」から「ゲームヲタク」へ周りからの認識がランクアップしていた。ポケモンなどにも相変わらず触れつつ、俺はモンハンに手を出した。Wiiに移植されたモンスターハンターGに触れたのだ。ここで俺はオンラインプレイにハマった。右も左も、当時はキーボードの出し方すら知らなかった俺に、偶然ご一緒した人から「挨拶しないと誰も手伝ってくれないよ」と言われ、定型文というものを知り、インターネットでのマナーを学んだ。今になって考えると、この人のおかげで今後のプレイしたネトゲでは変なトラブルに巻き込まれたりするとこは無かったのだと思う。余談だが、両親が自営業だったので基本家や家の近くにいたため、学校をサボることはなかった。

モンハン以外では、どうぶつの森星のカービィで遊んだり、父がWiiFitにハマったりした。この前のニンテンドーダイレクトカービィWiiのswitch版が出るときいたときは驚いた。てかもう10年以上たっているのか...時間の流れがおかしい気がする。

小学校6年生の時にWiiUも無事購入。WiiUは売り上げが振るわず、失敗ハードと揶揄われるハードだが、テレビを使わずともゲームがてきたのはうれしかったし、ブラウザでYoutubeも見れたので、タブレットのような使用感で満足できたハードだった。

携帯機のほうでは、遊ぶハードは3DSになり新光神話パルテナの鏡に熱中した。あれ今思うと武器の性能がドロップごとに違ったし、合成でも性能が変わったりでだいぶMMOみたいな要素があって楽しかった。あとはスターフォックスとかやったな。

中学生

中学生になると一本のゲームを長く遊ぶようになった。

MHFが出るまでMH3Gをずっとやってた。ここでの人脈形成がなかなか濃くて、自称中3とフレンドになったのだ。これがなかなかの暴言厨で、最終的にフレンドを切ることになったのだが、まだフレンドだった時にたまたま一緒になったハンターとその後ばったり出会いフレンドになった。世間って狭いね。

ここらへんで印象に残っているゲームは

そして、オンラインゲームへ...

3GHDverが発売されてから大体一年後、MHFWiiU版が出た。当時モンハンが流行りまくっていたのもあって「これはやらねばなるまい!」と意気揚々とプレイした。この時初めてプレイしたイベントクエストのエスピナス希少種に知らない人と挑戦したのだが、サービス初期の我々全員原種のエスピナスの仕様すら知らず、案の定クエスト失敗し、その仕様から「チートですか?」と疑われた。

Maincraft、襲来

中学二年、中二病バリバリだったころにMaincraftが黒船の如く襲来した。このころ、目的がないゲームにあこがれていた俺にピンポイントでぶっ刺さった。朝も夜もMaincraftで山を要塞化し、各所にTNTキャノンを作り、「異世界の煉獄世界(ただのネザー)の扉を守護する要塞」などと、中二病も相まっていろんな設定の建造物を作っていた。この中二病は今も引き継がれており、今でもたまにJava版で「寒冷地に秘された管理された村」など設定を考えながらプレイすることがある。ちなみに遠方へ行った際にリスポーン地点が消えたまま死んでしまい、本当に秘された村になってしまった。俺は管理者だぞ!助けろよ!おい誰か!おいっヅ...アァ...(小物感)

その時、ハイカラへ

祖母からもらった小遣い一万円を片手に、スプラトゥーンを買った。この時点で中三、おい、受験はどうした。

実は友達の反応はキャッチーな作風も相まっていまいちで「じゃあ俺が人柱になるわ!」と買った作品。このあと友達も買いました。このころは「ランク」とか「レート」とかに興味はないものの、実力が数値やランクで可視化されたのが楽しくて、「勝った!うれしい!」「負けた!くやしい!」とはしゃいでいた。おそらく健全な遊び方。

 

以上、中学までのゲーム遍歴でした。かきかべの次回作にご期待ください。

これ書いてる間に書きたいネタ浮かんだからやっぱりこういうのは必要なんだな...